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 桜満開のその日は、一種異様な雰囲気に包まれていた。
 誰もがその身を漆黒の衣装で包み、一言の言葉を話すことも無く、ただ、立ち竦む。
 いや、彼らはただ立っているだけではない。
 その異様な雰囲気から、それがまともと称すことのできる状況でないことだけは、確かだ。

 今この時も、この世のどこかで心の底から笑っている人間が必ずいる。
 眼前に広がるあまりに現実離れした光景に、そんな場違いな思考を巡らせてしまうことは罪だろうか。
 ざ、ざ、ざ、と、深い穴の中へ大量の砂が流し込まれていく。
 少年はこの光景を未だに信じることができなかった。
 覚悟はできていたはずだ。突然、まるで事故のように発生した事態では無い。
 これは自分を含めた多くの人々が悩み、苦しみ、血を吐くような想いで決断した結果だ。

 しかし、信じることができない。信じることを、したくない。
 視線を逸らすことができなくても、瞳を閉じることができなくても、信じることだけはしたくない。
 それが、少年にとって最後に残された自我を保つ術だった。


 こんな悪夢がこの世に存在するのだろうか。   ざっ───────────
 こんな悪夢がこの世に存在するのだろうか。   ざっ、ざっ────────
 こんな悪夢がこの世に存在するのだろうか。   ざっ、ざっ、ざっ─────
 こんな悪夢がこの世に存在するのだろうか。   ざっ、ざっ、ざっ、ざっ──


 埋まっていく。
 この深い穴を掘ることに、少年は最後まで決して手を貸そうとはしなかった。
 少年にとってその行動は、まさしく直接手を下すこと、そのものと違いなかった。
 埋まっていく。
 きっと今日が自分の生まれた日だからと、周りから暖かい祝福を与えられている人間が存在するのだろう。
 きっと今日が貴方の生まれた日だからと、心から暖かい祝福を与えている人間が存在するのだろう。
 この差は何だ。埋まっていく。眼前の悪夢のような光景との差は、一体何だ。

 間違いなく、少年は愛していた。
 もちろん、今、この場で泣きながら穴を埋め続ける人々のことも、愛していた。
 皆が皆、わんわんと子供のように泣きながら穴を埋めていた。
 誰もがその行動が正しく無いということを理解しながら、しかしその行動を止めようとはしなかった。
 少年も当然その行動が止まればどんなに良いかと願うのに、その行動を止めようとはしなかった。

 生まれてから、ずっとずっと教え込まれてきたモノが、少年のか細い足を握り締めて離さない。


 埋まっていく。
 こんな悪夢がこの世に存在するのだろうか。


「……助けて忠義っ!あ、あたし……まだ死にたくない!」

 少年は耳を小さな手の平で覆い隠し、絶叫した。

























異説妖々夢 〜西行寺〜 中篇


























「……ッ!」

 忠義が跳ね起きるように目覚めたとき、未だ外は夜の闇に包まれていた。
 だらだらと額から頬へと流れていく汗の量。
 そしてなかなか収まろうとしない荒い息が、現在の忠義の調子を如実に表現している。

「まだ、夜か……」

 父親が病に倒れ、その流れで自然と自分が西行寺家を継ぐことになった。
 その瞬間から忠義は自らの名に西行寺家当主という重い肩書きを背負い、生きることになった……が、
 全く逡巡が無かったといえば嘘になる。
 あの日、自分がその眼で実際に見た光景が、西行寺など放って逃げてしまえと心に警鐘を鳴らしてた。
 父の言葉に対し、自然な仕草で首を縦に振った自分を信じられなかったのは、誰よりも忠義本人。
 西行寺を憎んでいたといっても過言ではないし、今でも憎んでいるかと問われれば是と答えるかもしれない。

 それでも西行寺であり続けることを選択したのは、誰に強制されたわけでもなく、自分自身だった。
 もしかしたらこの感情も、単に幼少の頃から刷り込まれてきたものが機能しただけに過ぎないのかもしれない。
 頭の片隅でそんなことを考えつつも、即断した自分の意思は自分のものであると思う。
 西行寺忠義は、やはり西行寺の男でしか有り得ない。

 眼を閉じるたびに、数刻前の由々子の、最後に見た表情が思い浮かんでくる。



「あ、妖忌!」

 夕焼けの空も、そろそろ影の色が濃くなってきた頃。
 由々子に共に毬遊びをするという約束をしていた妖忌が漸くやってきた。
 妖忌が少しお待ちを、と一言だけ残して屋敷に入っていってから既に相当な時間が経過している。
 由々子が想像していた以上の待ち時間になってしまっていたが、それでも彼女は不満げな様子を一切見せることはなかった。
 ──楽しかったのだ。
 毬遊びを一人で行うのはもう飽きるくらいに繰り返してきたが、それを妖忌と共に行うことなど今までに無かった。
 妖忌がどんな風に毬をつくのか、そしてどんな風に一緒に遊ぼうか。
 そんな他愛も無いことを考えているだけで、どんなに長い待ち時間でも楽しく過ごせるような気がした。
 事実、こうして毬を胸に抱いて、満足げに相当な時間を待ちきったのだから。

「……本当に……お待たせ、しました」

 なのに。
 自分はこんなに楽しく待ち続けたというのに。
 漸く由々子の前までやってきた妖忌は、幼い由々子でさえ一目で察することが出来るほどに疲れ果てた様子で。
 そして、彼の名を呼んだ由々子の視線の先には妖忌の姿だけではなく、妖忌の背後に父親の姿。
 忠義の表情も妖忌のそれに負けず劣らず、酷いものだった。
 まるで地獄の奥底まで行って帰ってきたのではないだろうかと、それくらいに思わせる程に。

「お父さん?」

 忠義も覚悟に覚悟を重ねてきたはずだった。
 村長があの部屋を去ってから、妖忌と二人で一言も交わすことなく畳を見詰め続けて。
 由々子も理解しているはずだ。自分達は西行寺の人間なのだ。自分の心に何度も繰り返し楔を打ち続け。
 そうして、由々子の前までやってきたはずだった。

 だが、耐えられぬ。

 毬遊びの約束を楽しみにしているという話は妖忌に聞いていた。
 妖忌が迷うことなく由々子の姿を見つけ出すことができたということは、この場でずっと待ち続けていたということだろう。
 突然妖忌と共にやってきた忠義を見て、由々子が不思議そうに小首を傾げるのは当然だ。
 そして、だからこそそんな無垢な反応が今の忠義には辛すぎた。
 耐えられない──。
 これから、自分はこの娘に、死ねと言わねばならぬというのに。

「お嬢……お待たせ、しました」

 妖忌がもう一度、繰り返すように由々子に語りかける。
 父親に注意がいっていた由々子は、その声にはっとしたように妖忌に振り返った。

「うん、思ったよりたくさん待っちゃった」

 その言葉に妖忌を責めるような感情は一切篭っていない。
 どちらかといえば漸く来てくれたことに対する喜びのほうが勝っているように思えるが、しかし更にそれよりも妖忌と、そして父親の表情が冴えないことに対する心配のほうが勝っている。
 僅かばかりに俯く妖忌の顔を、毬を抱きかかえたまま覗き込むように見上げた。

「何か、たいへんなことでもあった?」
「い、いえ……その」

 咄嗟に言葉が出てこない自分が恨めしい。
 妖忌は拳を強く握り締めながら、自分の背後に居るであろう主の反応を待った。
 しかし、忠義からは何の動きも感じられない。

「妖忌、今日はきっとつかれてるんだよ……。私、今日はがまんするから、もう休もう?」

 鼻の奥がつん、とする感覚。
 どれほど由々子が楽しみに待っていたかを理解しているからこそ、由々子の優しさがあまりに辛くて、苦しい。
 そう、泣けてくる。涙は決して流せないが……心の中ではもう、その奔流を押し留めることはできない。
 口を開けては、閉めて。そんな行動を何度も繰り返す。今、何かを発言すれば、それはきっと震えて言葉にならない。

「由々子」

 その時、止まりかけた空間を震わす一筋の声。
 これまで僅か一言さえも口に出さなかった忠義が、ついにその重たい口を開いた。
 妖忌、そして由々子も不思議と呆然とした表情で忠義を見返した。

「……遊ぼうか」

「え……」

「その新しい毬。妖忌に、買ってもらったのだろう?」

 呆然の上に、更にもう一層呆然の感情を上塗りしたような表情。
 しかし忠義の言葉を頭が理解していくにつれ徐々に、だが確実にぱぁっと嬉しそうに綻んでいく。

「久しぶりに、時間ができたんだ。由々子、お前がその毬をついているところを見てみたい」

 表情に花が咲くとは、まさしくこのことを言うのだろう──。
 妖忌は心の底からそう思うのと同時に、だからこそこれ以上由々子の嬉しそうな様子を見続けることができなかった。
 忠義様は突然、何故。そんな疑問が頭から離れない。
 これでは、まるで……

「うん、わかった!お父さん、わたし凄く上手になったから!」
「ああ……」

 自分の娘が、目の前で毬つきをする。
 時々自分の顔を伺いながら、満面にいっぱいの笑顔を浮かべて。
 愛しかった。
 口が裂けても自分は良く出来た父親だったなどとは言えないが、しかし娘を愛するこの気持ちに一欠けらの嘘偽りも無い。
 だからこそ、本当に愛しているからこそ忠義は今の自分の行為が許せなくて仕方が無かった。
 自分はこれから娘に死ねと告げねばならない。
 それなのに、こうして共に遊ぼうなどと、何故。

 これでは、まるで……せめて冥土の土産にと、そんなことをさせているようではないか。

 自分を殺してやりたい。
 だが、そんな底無しの自己嫌悪に陥りながらも、それを理解しながらも、見たかった。
 忠義は真実と偽りが半分ずつに鏤められた微笑みを浮かべながら……見続けた。
 袖の中で握り締めた拳から血が滴り落ちる。
 手の平に食い込んだ爪が皮を破り、肉を裂きながら。

「ねえ、見てお父さん、妖忌!ほら、こうやるとこう、跳ねるのっ」

 夕焼けの色はほんの僅かを残し、その大半を喪失し始めている。
 由々子は楽しそうに笑い続けた。妖忌も、忠義も、共に笑い続けた。
 見知らぬ誰かがこの光景をちらりと目にしたのなら、暖かい光景だと目を細めて見るだろうか。

 見える、だろうか。


 由々子……。

「西行妖の封印が解ける」
「え」

 由々子……。

「西行寺の女である、使命を果たすときがきた」
「……お父、さん……?」

 由々子……。

「……その身を生贄とし、封印の為人柱となってもらう」
「……」

 由々子……。

「時間が無い。儀式は、二日の後だ。明日一日、準備に当てるといい」
「……」


 無言の時間は僅かだった。

 由比、この時お前の娘が、どんな表情で何と言ったと思う?
 姉さん…この時俺の娘が、どんな表情で何と言ったと思う?
 村長……この時西行寺の娘が、どんな表情で何と言ったと思う?
 村の皆………この時皆の知る女の子が、どんな表情で、何と言ったと思う?


 ────心の準備は、できていた────

 そう、たった一言だけを返して。
 最後に微笑んだ。

 最早、嘘偽りの半分が剥がれ落ち、今にも泣き出しそうな、そんな表情の忠義に向かって。
 何一つ、言葉を出すことができずに、俯いたまま歯を食いしばっている妖忌に向かって。
 大好きな、買ってもらったばかりの真新しい毬を腕に抱いて。
 それはきっと、由々子の浮かべることのできる、精一杯の、全力の微笑みだったのだろう。

 忠義も妖忌も、由々子に泣いて欲しかった。
 泣き喚き、罵って欲しかった。思いっきり引っ叩いて欲しかった。

 だが、由々子は微笑んだ。
 突然の告白を受けて、しかしそれに対して一切の驚きを見せることなく。
 そのまま、何一つ言い出すことのできぬ忠義と妖忌に背を向けて、屋敷の中へと入っていった。


 時だけが刻々と過ぎ去っていく。
 普段と変わらぬ優しい月光に照らされ、二人の男が絶望の最中に立ち竦む。

「妖忌」
「……は」
「おれは、今すぐにでも死んでしまいたい」
「……自分もです」


















 * * *

















 陽は既に落ちている──。
 村人達も儀式の話を耳にし、小さな薄汚い部屋に集まって話をしていた。
 その表情は皆が皆暗く、話をしているとは言っても、部屋に静寂の空間が訪れている時間のほうが長い。
 全員が理解しているのだ。話し合おうがどうしようが、最後には結局、選択肢など無いのだということを。

「……なあ、本当に、他にどうしようも無いのかよ」

 それはその場に居る皆の、偽らざる本音でしか無い。
 話を聞いてからずっと自問自答を続けてきた疑問であり、だからこそその問いに答えが無いことも自分自身が一番良く理解している。
 それでも、こうして実際に声に出さずにはいられない。
 もしかしたら自分以外の誰かなら、ほんの僅かでも良いから、何か解決策を見出してくれるのではないか。
 そんな、淡い幻想を胸に抱いて。

「無理じゃ」

 しかしそんな希望をきっぱりと一言で却下する声がかかる。
 本音を口にした青年は、その声の主である、村長を思いっきり睨み付けた。
 まるで老人に掴みかからんとする勢いで立ち上がった青年を、隣に居た同じくらいの年齢の男が押し留める。

「だから、無理無理って言ってるだけじゃ何も始まらないって言っているんだ!」
「落ち着けっ、村長だってもう本当にそうするしかないとわかっているから言っているだけなんだ!」
「離せ!わからなかったらもっと考えればいいだろう!諦めたらもう、本当に終わりなんだぞ!」
「だから落ち着け!お前だって……知ってるだろ!村長だって、死ぬほど思い悩んでいたんだ!死ぬほど考えて、考え抜いたんだ!」

 そんなことは、判っていた。

「わかっているんだよ!わかっているに決まってるだろう!だからって……だからってゆゆちゃんが、死んでいいわけ、無いだろう……」
「……」

 薄暗い室内に、再び静寂が舞い降りた。
 話を続ければ続けるほどに、どうしようも無いのだという実感だけが強くなってくる。
 このまま何も行動を起こさなければ、二日の後に西行寺由々子は西行妖の人柱となり、この世から去る。
 毎日のように触れ合ってきたわけではないが、それでもあの、皆に愛されている西行寺由々子が。
 それはあの西行寺の力でいつも自分達を助けてくれたからという理由だけではない。
 あの人懐っこい性格。聡明なようでいて、どこか抜けているところ。まるで子供とは思えぬ寛大な心と、優しさ。

 村人達は、西行寺を愛している。
 だが、それ以上に皆は西行寺由々子という少女のことを心から愛していた。
 だからこそ、耐えられない。

「なんで、あの子が……。あの子だけが死ななきゃいけないんだ」

 嗚咽と同時に搾り出しているような声。
 その声を聞いて、ずっと俯き黙っていた老人が、ゆっくりとそのしわだらけの顔を上げた。

「ならば由々子嬢の代わりに、今、お前の嫁の腹の中に居る子供が犠牲になれば良いという話になったとき。お前は、お前の子を犠牲にできるか」
「……っ!」

 そう、この言葉が全てを言い表しているのだ。
 誰がどう犠牲になろうとも、決して全てが円満に解決するわけではない。
 誰かが苦しみ、誰かが嘆き、誰かは怒り、誰かは呪うだろう。それは人間である限り当然のことだ。
 そして、歴史がこの事実を証明している。
 誰彼云々抜きにして、犠牲になり封印と成れるのは西行寺の女のみであるということを。
 その事実の前にはどんな温情も自己犠牲も一切の意味を持たない。
 犠牲に犠牲が重なり、悲劇は深く広く。終わらぬ悪夢の末に、結局事態は振り出しへと舞い戻る。
 やはり、誰もが理解していることなのだ。

「その逆もまた然り。お前が犠牲になれば良いという話になったとき。お前は、お前の愛する嫁と子を残して、犠牲になることができるか」
「……それ、は……」
「それは今のお前の立場が、お前の嫁と子に移り変わるだけでしかない。何も変わらぬ」
「……」
「そしてお前の嫁と子はわしにこう言うじゃろう。お前の変わりに自分が、と」

 村長のゆっくりと説き伏せるような言葉に、何も言い返すことができない。
 何か屁理屈の一つでも言い返そうにも、そうするにはあまりに村長の目は優しすぎた。
 この老人は村長なのだ。西行寺と共に長い歴史を歩み続けてきたこの集落の、全てをその一身に預かる者。

「わしは、今回と全く同じ状況を、若い頃に経験しておる」
「……」
「わしはまだ若かった。……懐かしいなぁ。あの時、わしは今のお前と全く同じことを叫んでおったよ」
「……」
「西行寺忠義の姉、お前たちは名も知らぬな。あの時は、かの娘が犠牲になった。あの日、わしが決断を悩んだが為に、儀式が終了する前に西行妖の封印は解け、その膨大な妖気は暴走し、数多の鬼が出現した。……犠牲になった者の顔、名前。未だに忘れることはできぬ。わしは、この集落を束ねる村の長。……もう、あの過ちは繰り返さん」
「……村長……」

 まるで昔語りを聞いているような気分だった。
 事実そうでしか無いのだが、しかしあまりに淡々と語られる為に、どこか浮世離れした与太話にも聞こえてしまう。
 だが、史実だ。これが、ただの昔話という物語であればどんなに良かったことか。

「あの日、わしは今でも間違った選択をしたと悔やんでおる」
「選択……?」
「かの娘に、死ねと断言するか、否かの選択じゃ」
「死……っ!」
「……聞け。あの日、繰り返すがわしはまだ若かった。若すぎた。あんな若造が、村を仕切る存在であったのがそもそもの間違い。長が悩んでおれば、当然村人達も同じく悩むだろう。……わかるだろう?死ねと命ずるのは、誰であろうとこの上なく、辛い」
「……はい」
「そして結果、わしは最低の選択肢を選んだ」


『ねぇ、あたしが死ななかったら……皆、死んじゃうの……?』
『……』
『あ、あたしが死ねば、皆助かるのっ!?ねえ、答えてっ!』
『……』
『し、死にたく、無い……でも、でも……っ』


「わしは、あの子が自分から死を選択するように仕向けた。もちろん、意図的にやったわけではない。本当に、何も言葉が出てこなかった。今、お前たちの心に浮かんでいる感情と全く同じモノに悩み苦しんでいた。死ねない、しかし死ねとは言えない死んで欲しくない。……だが、心の奥底に、確信はあった。西行寺の者なら、こうしておれば、自ら死を選択するに違いない、と!」
「……う、ぁ……」
「わしは……西行寺という名前を盾に、あの子の良心を揺さ振るような真似をして、あの子自身が自ら死を選ぶよう仕向けた!わしが死ねと言いたくなかったからだ……苦しむのが嫌だったからだ!」

 感情が高ぶり、圧倒される眼前の青年を睨みつけるように、叫んでいた。
 知らぬうちに、その深いシワに隠されてしまっているような目から涙が零れる。

「……だから、わしはもう悩まぬ。どんなに怨まれようと、罵られようと、たとえこの結果呪い殺されることになろうとかまわん。この老いぼれ、地獄なんぞ喜んで自ら行ってみせよう」

 この村、そして集落の歴史は西行寺の歴史でもある。
 双方の馴れ初めがどのようなものであったのかは、既に証明できるものは現存していないが、今こうして双方がお互いに尊重しあい、共に存在しているという事実が互いの歴史の繋がりを確かに証明している。
 これまでにもそんな歴史がどうしたものかと、そう強く言い放って反抗を見せたものは多く存在する。
 しかし、その誰もが確かな歴史の輪廻の輪を実感した瞬間、そのどうにもならない運命を前にして絶望するのだ。
 西行妖の封印が解ける。西行寺の新たな犠牲を生む。
 変わらぬ、事実。

「村長……」
「恐らく、忠義殿は既に幽々子嬢にこのことを打ち明けておるに違いない……。わしはあの娘に死ねと言うた。あの忠義殿がそのまま言い伝えることを由とするとは思えんが……だが、あの聡明な娘のことだ。理解は、するじゃろう」
「俺たちも、共に地獄に落ちれば……僅かでも、許してもらえるのだろうか」
「馬鹿を言うでない。お前たちには、お前たちの仕事がある。先程言ったことをもう忘れたか」





「……」

 村人達が話し合いを続ける部屋と、僅か障子一枚を隔てた外。
 そこに魂魄妖忌は立ち竦んでいた。
 憔悴した様子で自室へと戻っていった主の後姿をやるせない気持ちで見送り、そのままの勢いでここまで走ってきた。
 まさかこんな話し合いをしているなどとは思わず、その会話内容が耳に入ってからずっとここで立ち竦んでいた。

 土下座してでも、何をしてでも許しを乞うつもりだった。
 由々子を犠牲にしないで欲しいと、馬鹿にされようが何をされようが頼み込むつもりだった。
 だが、もはやこの竦んだ足がこの部屋の中へ押し入ることさえ拒否する。

 長きを生きる特殊な魂魄の身体。既に百以上の年月を西行寺と共に歩んできている。
 西行妖にまつわる惨劇は、当然、もう幾度か経験してきた。
 もちろん経験豊かなどと称する程ではないし、そもそも幾度繰り返そうと慣れることなどできるはずがない。
 何度西行寺から離れ、一人何処かでひっそり生きていこうと決意したかわからない。
 だが、現在こうしていることが証明しているように、結局いつまでも決断することはできなかった。
 やはり、西行寺と、そして西行寺の周りの皆のことが好きだったからだ。

 愛してやまない、この自分の周りの全てを。

 西行妖を斬り潰そうとしたこともある。
 出現する鬼全てを屠り尽くそうとしたこともある。
 自分が強くなることで、そうすることで守りきれるのではと思ったこともある。
 西行寺の血と協力すれば、封印の解けた西行妖にも打ち勝てるのではないかと思ったこともある。

 その全てが無理だと理解出来てしまったとき、そのときの絶望感は一体いかほどのものであったか。
 それは魂魄妖忌、その人本人にしかわからないだろう。


「それぞれに、それぞれの仕事がある……か」

 壁に寄り掛かりながら、深い溜息と共に声を漏らす。
 やるせなかった。
 もう、こうして障子越しにでも聞いてしまった以上、押し入って叫ぶことなどできるはずが無かった。
 そのあまりに深い覚悟、西行寺さえも止めることはできないに違いない。
 そう考えたからこそ溜息をついた。本当に、やるせなかった。

 これは絶望なのか、それとも覚悟なのか。
 本人さえも理解できぬその決意を胸に秘め、魂魄妖忌はその場を立ち去った。


















 * * *

















 最後の日。
 正確には残り一日あるのだが、明日は既に最期の日であり、最後の日ではない。
 由々子は眠れぬ夜を過ごした後、天高く昇った太陽の下で僅かながらも落ち着きを取り戻していた。

「ええと、この白い布をさんかくにして……と」

 すべきことは山のようにあったから、余計なことに気を取られることは無い。
 むしろ、最後の一日を何もせず無駄に過ごすなどということだけは御免だった。
 そして何より、常に忙しく行動していなくては、押し寄せてくる感情の波に押し潰されてしまいそうだった。

 布をいじりながら、ふと、昨夜のことを思い返す。



 父に封印の儀式のことを告げられたとき。
 間違いなく、一瞬ではあったが底無しの穴の中へ落下していく気分を味わった。
 あの時声を大にして叫ばなかったのが自分でも信じられない。
 気付いた時には、一切の感情を押し殺していた。

 父に向かって笑顔で是と答えたものの、もちろんそれが突然の死刑宣告であったことに違いは無い。
 自分の部屋に入り、膝を抱えて深く考え始めてからその事実に愕然とし始めた。
 夜の闇と無音の静寂が、半分麻痺しかけていた思考能力を蘇らせる。
 そこには圧倒的な絶望感と、底なしの恐怖が見え隠れしていて、由々子は慌ててかぶりを振った。
 月の明かりが僅かに差し込むだけの薄暗い室内で、こうして膝を抱えているのは実に危ない。
 かちかちと歯と歯がぶつかり合い、小さな音を鳴らす。
 その音がまた自身の恐怖心を強く煽り、その感情の螺旋階段を永遠と下り続けるしかないように思えた。

 どうにもならなくなり、枕を持って妖忌の部屋へと走ったのは仕方の無いこと。
 まだ忠義の顔を真っ直ぐに見詰める勇気は無いのだ。
 それは妖忌に対しても言えることだったが、それでも今縋れるのは魂魄妖忌、この人しか居なかった。

 布団に入れてほしいと頼んだときの、妖忌の表情を思い返すだけで涙が出てくる。
 本当に自分のことを愛してくれているということが、幼い由々子にもわかるくらいにその表情から溢れ出ていたから。
 一晩中というわけではないが、寝入るまでの間、ずっと二人で話し続けた。

 それはとても楽しく、温かく……そして、余りにも悲しい時間だった。




 妖忌と話した中で、いくつか今日やらなくてはならないことが増えた。
 まずは今行っている作業で、天冠作り。
 白い布を三角にして、細い紐で両端を繋いで額に巻けるようにする。
 布に何か絵を描いても良いかと妖忌に聞いてみたら、呆れたような表情と共に苦笑されてしまった。
 しかし、これが由々子の物である以上、妖忌にはそれを止める権利が無い。
 面白い案かもしれませんと一言付け加え、暫くの間どういう絵を描くかで話を続けた。

「あと、手紙をかかないと」

 西行寺の習わしとして、封印の柱となる者は遺書を残すことになっている。
 妖忌は遺書という言葉を使うことを嫌い、由々子に手紙を残すという形で指示をした。
 やがて転生し再びこの世に生まれる自分に対する手紙と、残された皆に対する別れの手紙。
 未来の自分に手紙を書くのは、何だか少し照れくさくて、僅かながら面白いと思ったりもする。
 だが別れの手紙を書くのは……何故だか恐ろしくて仕方なかった。
 始めに手紙から手をつけようとしたのだが、手が震えてしまって文字が書けない為どうしようも無い。
 せめてもう少し落ち着いてからと、手紙は後回しにして天冠作りから始めたのだ。


「由々子」

 再び布を弄り始めたそのとき、突然背後から声がかかって驚いた。
 天冠作りに思いの外、集中していのだろう。慌てて振り返った先に、忠義の姿。

「お、お父さん。どうしたの?」
「いや、妖忌に聞いてな。慣れぬ作業は大変だろう。私はこの手の作業は手慣れているからな、少し手伝ってやろうと思って来た」

 手慣れているということは、そういうことだ。
 まだ父親の半分も生きていない由々子には、こんな作業に慣れるということがどれほどの経験を積んだ証明なのか想像もつかない。

「ん、これは天冠か。初めて作ったにしてはなかなか上出来……ん?」

 白い三角の布を手に取った忠義は、その布に描かれた模様に首を傾げた。
 天冠に絵を描くという話は今まで聞いたことが無かった。
 しかしこの天冠を額につけている由々子の姿を想像すると、何か微妙に似合っている気もして僅かに笑みが零れる。

「え、えっと……妖忌が、いいって言ってくれたから」
「ん?」
「その……絵は、だめ?」

 絵を描くという話は初耳だが、しかしそれが駄目であるという話も聞いたことが無い。
 そもそもこれは由々子が自分のために作った、由々子のものなのだ。
 妖忌も恐らく同じことを考えたのだろうと、そんなことを思って再び苦笑を浮かべる。


「ははっ、構わん。好きなものを描くと良い」
「ほんとう?」
「ああ、妖忌も似たことを言っただろう?」
「うんっ」

 忠義は手伝いに来たと言いながらも、結局一切手を貸すことなく由々子の作業を見守る。
 由々子にもわかっていた。せめて、少しでも由々子と一緒に居てやりたいと、そういうことなのだろうと。

「手紙はまだ準備できていないのか?」
「あ。うん、まだ……手紙、は……」

 手紙。その単語は一つのきっかけだった。
 少女の脆い感情の壁は、たった一つの小さなきっかけが原因で一気に崩れ落ち、崩壊する。
 忠義は目を見開いた。
 先程まで控えめな笑顔を浮かべていた由々子が、突然がちがちと歯を鳴らしながら震え始めたのだ。
 慌てて駆け寄り、そのか細い肩に手を置いて軽く揺さぶる。

「由々子?……由々子っ!」
「……こ…………い」

 昨夜からずっと感情を押し隠していた壁は、もう崩れ落ち無くなった。
 後は死を目前に控え、それに恐怖し怯える小さな女の子が残されるのみ。
 愛する父親を前に押し寄せるその感情を押さえつけることなどできはしない。

「こわ、い……」
「由々子……」

 忠義は由々子を思いっきり強く抱きしめた。
 恐怖に震える我が子に対し、こんなことしか出来ないのかと自らを呪う。
 思えばこうして抱きしめてやったことが、今までにどれだけあったというのか。
 自分が父親失格であるということは自覚していたが、この瞬間今までに無い程、それを強く実感した。
 由々子の震えは忠義がどれだけ抱きしめても一向に収まる様子が無い。
 無力感が自分を叩きのめす。
 そして。もう自分に出来ることが他に何も無いのだとすれば、全てを言い伝えてしまおうと、そう思った。


「由々子、お前はただ死にに行くわけでは、ない」
「……」

 返事は無い。しかし、それでよかった。
 震えは続いていたが、由々子が自分の言葉を聞いているということは雰囲気でわかる。
 聞いているのなら、あとは何でもよかった。

「人柱となり、西行妖を封印する。それは確かなことだが……西行寺には一つ、お前に教えていない伝承がある」
「……」
「……大御霊。際立つ能力を持つ西行寺の女のみが辿り着くことのできる領域だ。これまでに大御霊に転生した西行寺は初代しか居ないらしいが……」
「……」
「通常は、霊魂までも全て尽くして初めて封印と成すが、大御霊へ転生を果たした場合、完全霊として霊魂は現世に甦るのだ。そして、その大御霊の意志が続く限り、その封印を守り続けることができる」
「……」
「私は確信している」
「……」
「由々子。お前の力は西行寺の長い歴史の中でも他に例を見ぬほどのもののようだ。初代西行寺……かの方の言葉を信ずるならば、おそらくお前は大御霊となり、現世に戻ってこれるはず」
「……」
「かの方には私でさえ一度しか会ったことが無いが……しかし、それでも大御霊の存在を信ずるには十分」

由々子の震えはまだ止まらないが、それでも、確認しておきたいことがあった。
この想い、もう駄目だとあきらめていた想いが膨れ上がる。

「その、おおみたま、になれば……また、皆に会えるの……?」
「ああ、会える」

 それは、残酷な嘘だった。
 忠義は西行寺大御霊と実際に会い、話をした経験がある。
 大御霊の存在は間違いないし、由々子がその存在に成れるということも信じている。
 かの大御霊とそれほど長い会話をしたわけではないが、それでもその時に一つ、あることを確信した。
 だが、この場においてそれを事細やかに説明して何になるというのか。
 忠義は自分が娘に対して、あまりに惨い仕打ちをしていることを理解していた。
 罪を罪と理解しつつ犯すことが最も酷い罪であるというのならば、既に自分は地獄に落ちているに違いないと思う。

「このことは……本当は、最後まで話すつもりは無かった」
「……どうして?」
「私が、私を許せなくなるからだ」





 その後妖忌も交えて、震える由々子を支えながら作業を終えた。
 天冠を完成させ、二枚の手紙を書き終え、身の回りの整理整頓を済まし──

 最後の夜は、由々子を中心として三人で並んで寝た。
 片手を忠義、もう片手を妖忌と繋いで。
 右を向けば愛する父親の顔が見える。左を向けば親愛なる妖忌の顔が見える。
 あれほど止まらなかった震えが、いつの間にかぴたりと止んでいた。

 昔語りをするかと忠義が始めたのは、彼の妻であり由々子の母である西行寺由比の話。
 そしてその話と織り交ぜるようにして、今の由々子と同じ境遇にあった彼の姉の話。
 初めて聞く自分の母と伯母の話は本当に興味深いもので、恐怖など感じる間もなく話にのめり込んだ。


  西行寺の女────


 ゆえに。絶対に眠れるはずが無いと諦めていた最後の夜の中、由々子は極自然に眠りにつくことができた。

 忠義と妖忌は、朝日が昇るまでずっと、由々子の寝顔を見つめ続けた。
 そして、ついに涙を流す。由々子が起きてしまったらどうするのかと、目元を拭って耐えようとした。
 だが、止まらない。この幼い少女の寝顔を見ているだけで、次から次へと涙が流れて止まらない。

 二人は涙が枯れ果ててしまった後も、声を押し殺しながら──泣き続けた。





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