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 その日は、雪が降った。


 辺り一面真っ白な雪景色の中、人々はその場に整列していた。
 誰もがその表情に、悲しみという一言だけでは決して表現しきれないほどの感情を浮かべて。
 皆が皆、黒を基調としたモノトーンの服装に身を包み、静かに佇んでいる。

 雪はまだ、静かにこんこんと降り続けている。
 人々の吐く息は、白く、冷たい。

 しん、と静まり返ったその場は、ある種の神秘的な光景と表現しても過言では無い。
 だが。雪に包まれたこの世界、こんなにも多くの人が集まっているというのに、なんと……寂しいのだろう。

 誰もが一言の言葉さえ口にすることなく、小さな娘の姿を待ち侘びる。
 ──否、このまま来なければ良い。そんなことを考えてしまう。
 それは、最早口に出してはいけないこと。自分達は、自分達で決めたのだ。
 有り得ないことだが、もしこの場を旅人が通りかかったとして、この光景を見たのなら、きっと全員が同じ感想を抱くことだろう。

 ああ、これは……葬式なのだということを。


「……あ……」

 少女を待ち続ける人々の中から僅かな声が漏れる。空気が、動いた。
 しゃくしゃくと雪を踏みしめながら、一人の老人に連れられて、少女がゆっくり歩いてくる。
 背後には二人の男性。西行寺忠義、魂魄妖忌。
 老人と二人は喪服に身を包み、彼らを待つ人々と同じく一つの言葉も発すること無く、歩く。

 少女は──真っ白の、質素な着物姿。

 凛としたその表情には、覚悟や諦めといった、そういった感情が一切見受けられない。
 楽しそうに笑う彼女も、怒ったように眉を顰める彼女も、悲しそうに目を伏せる彼女も、そこには居ない。
 西行寺由々子。
 この日、新たな西行妖の人柱となるその娘は、もう人々の知る由々子では有り得ない。

 村人達は重ねに重ねた決心、覚悟といったものががらがらと崩れていく感覚を味わった。
 今すぐにでも少女の元へと走り、思いっきり抱き締めてやりたかった。
 そんな顔をする必要は無いと、何度でも理解してくれるまで繰り返し説得してやりたかった。
 だが、その足は動かない。
 わかっているからこそ、動くことができない。
 ある人は顔を逸らし、ある人は視線を伏せ、ある人は苦しそうに首を振った。
 自分達が何もできないということは、昨夜嫌というほど思い知らされていたはず。
 だが、それを理解しているが故に……西行寺由々子という少女の表情は、辛すぎる。

 始まってしまう。
 あの、西行寺由々子が自分達の傍から離れていなくなってしまう。

 この白一色の静かな世界で。
 思いっきり声を張り上げて絶叫することができたのなら、どんなに気分が楽になることだろう。
 このまま押し黙って、最後まで見届けることなど拷問にしか思えない。
 人々は由々子と、そして彼女の後ろを歩く忠義と妖忌の姿を眺めることしかできない。
 これほどまでに苦しいことが、今まであっただろうか。


「……それでは、準備は整ったな」

 老人の、まるで他人に聞こえるように発しているとはとても思えないような、小さな呟き。
 しかしこの静寂の雪景色の中、その呟きは確実に人々の耳に、脳に響いて届いた。
 始まってしまう。
 ついに、誰もが望まず、誰もが願わず、誰もが否定したくて仕方の無い瞬間が。

「では、始める。……西行妖封印の、儀を」


















 * * *

















 目覚めは、思っていた程酷いものでは無かった。
 悪夢の一つでも見るものだと思っていたのに、拍子抜けするほど静かな目覚めを迎えた。
 由々子はこんな最後の夜まで熟睡できる自分の胆力に呆れる思いがしたが、直ぐにその考えを改める。

 目を擦って横を見たら、忠義が自分を見ていた。
 なんだか気恥ずかしくなって横を向いたら、そこには妖忌が居て、同じように自分を見ていた。

 見守っていてくれたのだ。

 あの包み込まれるような安心感。まるでゆっくりと手を引っ張ってもらいながら眠りに落ちていくような感覚。
 二人はずっと、一晩中自分を見守っていてくれたのだ。
 こんなに穏やかな気持ちで最期の朝を迎えることができるとは、思っていなかった。
 そしてそれは、大好きな、誰よりも愛している二人にずっと見守られていたことを実感できたからこそ。
 もしかしたら朝が二度と来ないという事実に気が動転し、泣き喚くくらいのことはするかもしれないと、覚悟していた。
 ついに目前まで死がやってきた事実に、正気を保ち続けることができるとはとても思えなかった。

 ふと見た、障子越しの外の風景は、一面の雪景色。
 こんなにも寒いはずなのに……心は、とっても温かくて。
 由々子は忠義と妖忌に対して、おはようと微笑みながら言った。

「……」

 ほんの僅かな間をおいて、二人も由々子におはようと挨拶を返す。
 どこか滑稽にも思える、本当に只の日常の一齣にしか見えないような、そんな一幕。
 しかしこの短いやり取りの中に、一体どれほどの想いが込められているのかは本人達にしかわからない。

 由々子にとって、最期の朝に対する別れの挨拶でもある。
 忠義と妖忌にとって、由々子の最期の挨拶を見届ける一幕でもある。




「少し、驚きました」
「……ん?」

 着替えを済ますからと、由々子が立ち去った部屋の中で、忠義と妖忌はそのままその場に止まっていた。
 由々子が出て行った部屋の襖を目を細めながら眺めつつ、妖忌は言葉を続ける。

「まさか、こんなにも……何一つ動揺などといった、そういう大きな感情の動きが無いままに、この日を迎えることができたことを」
「ああ……」
「今まで、無かったことです。今までは……気が動転して、それはもう、酷いものでした」
「……姉さんの時の、お前の様子は……酷いものだったからな」

 それは場を和ます冗談でも何でもない。それは忠義の表情が全て物語っている。
 妖忌もそれを察するが故に、何一つ反論することなく話を続ける。

「今回も、きっと正気を保つことはできないと、そう考えていたのです」
「……」
「終わってしまう。それを考えただけで、いや、今でも考えただけで心の底から震え上がる。喪失の恐怖は、どれだけ歳を重ねようとも……決して弱まることはありません。……ですが、恐ろしいことは確かなのですが……」
「……どこか冷静な自分が居る、か」
「……はい」

 静かだった。
 雪が積もった朝は、兎に角どんな音も、まるでその真っ白な世界の中へ消えてしまうかのように、静かだ。
 それでも今日のこの静けさは、今までのどんな雪の朝とも違った、まるで世界の中から孤立してしまったかのような……そんな無音の静けさ。
 そろそろ準備を始めなくてはならない時間だと言うのに、忠義も妖忌もその場から動こうという気が起きない。
 この無音の静寂の中で、せめてもう少しでもその身を沈めておきたかった。

「自分は、心が凍り付いてしまったのかもしれない」
「……」
「当然今も、お嬢が犠牲になるという事実の前に、憤りを隠せぬ自分も居ます。悲しさに崩れ落ちてしまいそうな自分も居ます。……ですが、今まで経験してきた中で……その感情を押し隠すことができたことなど無かった。まるで心が冷たく凍り付いてしまったかのような……そんな感覚です。もう、限界なのかもしれません」
「妖忌……」

 何が限界なのかと問うようなことはしない。
 恐らく妖忌も、自分が何を言っているのか半分理解できなくなっているのだろうと、そう思う。
 忠義はもはや溜息の一つもつくことが出来ずに、襖の向こう側を見るように目を細めた。

「大御霊については、理解しているな」
「は。もちろん……」

 僅かな間を開けて、呟くように……懺悔する。

「おれは、由々子に嘘をついた」
「……」
「大御霊へと転生したとき……再び皆に会えるのかという由々子の問いに対し、おれは頷いた」
「……それは……」

 ──嘘では無いのではないか、と続けようとしたその時。はっと思い留まり、忠義に視線をやった。
 自分の中にある大御霊に対する知識と、先の忠義の言葉が重なり合い、相違点を見つけ出す。
 大御霊になった由々子は、確かに皆に再び会うことができるだろう。
 しかし、それには見知った者達が生きている間に転生を果たすことができれば、という条件が付く。

 問題はそれだけではない。
 そしてその問題こそが、忠義が由々子に嘘をついたと、そう後悔をさせているのだ。

「──かの初代西行寺は、生前の記憶が無いと言っていた。もちろん、それは偶然に過ぎないのかもしれないが……だが、西行寺の書物にもそう記されているのだから、偶然の一言で片付けておくわけにはいかないだろう」
「……」
「大御霊は、その封印対象を永遠に封じ続ける為だけに存在するという。……記憶は、喪失するかもしれん」

 妖忌は、そのことも知っている。
 自分は長きにわたり、西行寺家に仕えてきたのだ。
 その過程で自然と西行寺の表も裏も、全てを目の当たりにしてきた。

 その自分でさえ大御霊に関しての知識は西行寺の古い書物から得たもののみ。
 未だ由々子には一度も読ませたことの無い、もしかしたらこのまま封印してしまいたかった書物。

 大御霊に転生しても、生前の記憶は失われる。

 さも当然のように、その一文は文章の最後に付け加えられていた。
 西行寺家以外の、西行寺以上に古い歴史を持つ家の者達が書き記したのであろう。
 きっと、彼らは目の当たりにしてきたのだ。
 自分を知る者が大御霊となり、しかしもはやその霊は自分達の見知った存在では無くなっていた、その瞬間を。

「忠義様……」
「妖忌。お前に、頼んでおきたいことがある」
「……は」
「由々子は、必ず大御霊として甦る。……だが、恐らくそのときには由々子を見知る者は、皆この世に居ないだろう。魂魄妖忌、お前ただ一人を除いて」
「……」
「妖忌。お前にしか、頼めないことだ」
「……はい」

「大御霊と転生した、西行寺由々子を……よろしく、頼む」

 従者である妖忌に対し、忠義が深く頭を下げる。
 忠義の気持ちが、それだけでも狂おしいほどに伝わってくる。
 誰よりも、還ってくる由々子の姿を見たいだろう。
 誰よりも、記憶を失った由々子を抱き締めてやりたいだろう。
 しかしその望み敵わぬのならばと、全てを心から信頼する妖忌へと託すのだ。



 身支度を整え、戻ってきた由々子と共に三人は並んで歩く。
 歩き慣れたはずの屋敷の廊下が、まるで迷宮に迷い込んだような感傷を抱かせる。
 それはきっと、この歩みの先が間違いなく終わりへと続いているからだ。
 人は本能的に「終わってしまう」ことに対する恐怖心を抱く。
 迷い無く歩いているようで、三人が三人とも、決してそんなことは無い。
 もう、帰りは無いのだ。

「妖忌……」

 真っ白の儀式衣装の由々子が、隣を歩く妖忌に声をかける。
 返事をすることさえ、辛い。
 声を出してしまったら最後、決して口に出してはいけないことさえ叫んでしまいそうで。
 僅かに視線を向けて、小さく頷くだけの反応しか見せることができなかった。

「わたし、頑張るから……」

 既に、視線さえも由々子に向けることができなくなった。
 由々子を挟んだ隣を歩く忠義も、そんな二人のやり取りに対して一切の反応を見せない。
 俯き、歯を食いしばる妖忌に対して、何も声をかけてやろうとはしない。

「だから……」

 もう、いい。
 生まれたその日から、ずっと見守り続けてきた娘だ。
 どんなときに、どんなことを望むか。それも、全て知っている。

「だから……」

 由々子も、妖忌の反応が無いことに対して一切機嫌を悪くする様子は無かった。
 妖忌と同じように、わかっているのだ。
 わかっているから、どんなときでも自分の話を真剣に聞いてくれていることはわかっているから。

「頑張れたら……最後まで、頑張れたら……」

 この控えめな少女が、自分の努力の見返りという形で望む、いつもの希望──


「いっぱい、褒めてくれる?ぎゅって、抱き締めてくれる?」
「……ッ!」


 自分を見て欲しい。かまって欲しい。抱き締めて欲しい。遊んで欲しい。撫でて欲しい。
 そんな子供らしい我が侭の一つも、ずっと、由々子にとってはこんなに素晴らしい御褒美だ。

 視線の先に、光が零れる。屋敷の出口が近い。
 妖忌の足は徐々に、しかし確実にその歩幅を縮めていく。
 進みたくない。もう、どうしようもないくらいに、耐えられない程に、足を前に踏み出したくない。

 凍り付いてなど、いなかった。
 だから、立ち止まる。
 一人分の足音が消えたことに気付き、由々子と忠義が後ろを振り返る。
 無言のまま、廊下の真ん中に立ち竦み、その場で俯く魂魄妖忌の姿が……見える。

 ──振り絞るように、声を出した。

「もちろん……です、お嬢……。真っ先に、駆けつけて……心から、褒めて、差し上げます。自分が、全ての、気持ちを持って……本当に、心から……心の、底から……」

 忠義と、そして由々子の表情は。
 俯いたままの妖忌には、わからない。

「……うんっ」

 僅かに耳に届いた由々子の声は、少なくとも悲しそうに沈んでは居なかった。
 それだけが、たった一つ、唯一の救いだった。


















 * * *

















 大の大人が二人も入ればいっぱいになるくらいの、そんな穴が掘られる。

 直ぐ前には西行妖の姿。枯れ果てた老木の姿こそしているが、だがそれでも人々はそれを恐れる。
 只の伝奇では、これほどまでに人々に影響を与えるようなことは無いだろう。
 決して只の物語ではなく、人々が実際に、この枯れ木の恐ろしい姿を目にしてきたからだ。

 降り止む様子の無い雪模様の中、まるでその白一色の光景に溶け込んでしまいそうな少女が、その穴を見詰める。

 吐く息は真っ白で、とても寒い。
 しかし由々子にとっては、この寒ささえも心に留めて置きたい大切なもの。


「それでは打ち合わせ通り……術者は西行妖を四点から囲み、術式の詠唱に備えよ」

 村長の一声で、再び停滞し始めていた空気が動き始める。
 由々子を除けば完全に黒一色で固められた集団の中で、一際目立つ方術衣装を身に纏った四人が立ち上がる。
 皆が皆、由々子に深い一礼をし、自らの役目を果たすためにその場を発つ。

 儀式は始まった。

「西行寺由々子は、穴の中へ。西行寺忠義と魂魄妖忌は下がりなさい」

 由々子は一歩を踏み出し、忠義と妖忌は一歩引く。
 二人の様子を見ていた村長は小さく溜息をつくと、更に厳しい表情を作って大声で吠えた。

「下がれと言っておる!」

 これが今生の別れか──。

 忠義と妖忌から伝わってくる悲痛の感情が、村長の心をも締め付ける。
 諦めろと言われて簡単に諦められるようなものでないことなど、もう嫌というほど理解していた。
 それでも、この期に及んで未だ縋り付こうとしている自分が居る。
 儀式の進行が遅れることは、それだけこの場の危険性は高くなっていく。
 眼前のこの枯れ木は只の木ではない。既に、毎日のように鬼を生み出している妖木だ。

 立ち止まれば、再び立ち直れぬ程の後悔を生むことになるかもしれない。
 穴の前に立ち止まったまま動かぬ由々子に眉を顰める。
 ここだ。
 あの時、何も言えずに最低な自分を後悔することになった瞬間は、ここだ。

 死ねと……言わなくては……!


「西行寺由々子。時は待つことをしない。……潔く、その身を…………っ」

 村長の細い眼が大きく見開かれた。

 彼の目に映る由々子の姿は、それはもう、なんと言い表せばよいものか……兎に角、酷い。
 がちがちと歯は巧く重ならず音を立て、震えが止まらぬ両腕で自らを強く抱き締め、蒼白に染まった表情は恐怖に彩られ、ぴくりとも動かぬその大きな瞳は……彼女には深すぎる、その穴の中へと吸い込まれるようにして、固まっている。

 ついにやってきたその瞬間を前にしては、漸く得た落ち着きも、覚悟の程も、一瞬にして無に帰ってしまった。

 ──怖い。

 だが、自分は西行寺の娘。

 ──怖い!

 ずっと自分に言い聞かせてきた、最も良い子でいなくてはならない、その瞬間が、今。

 ──怖い怖い怖い!

 自分は、西行寺の娘。西行寺の、娘。

 ──怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!


  西行寺の女──。


 ──怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いっ!



「いやぁあああああアアアアアアアアアアアッ!」

 底無しに膨れ上がった恐怖が、ついに隠し続けたモノを吐き出させる。
 由々子の絶叫が響き渡り、その場に居た全ての者の心を凍りつかせた。

「怖いッ!いや、いやァッ!やだッ!やだァッ!怖いよ助けてッ!いやァぁっ!」

 一度崩れてしまえば、もうその雪崩のような感情が止まるはずが無い。

「うわぁあああああっ!うわぁああああああんっ!ぁぁああああアアアアアッ!」

 一気に、今まで無理矢理止め固めていたからこそ、その勢いは止まることを知らず。
 ずっと、ずっと隠していた気持ちだったから。
 幼い少女が、その幼い心の中に留めておけるような、簡単な感情では無かったから。
 だから、爆発した。
 自分で何を言っているのかも理解せずに、頭を抱えてその場に崩れ落ち、ただただ叫び続けた。
 恐怖に震えた。その小さな身体の全てから恐怖に対する悲鳴を発した。
 泣き叫ぶ。絶叫。死にたくないと、吠える。嫌だと断言する。生きていた、生きている彼女の人としての本能。
 ──西行寺でも、なんでもない。
 幼い少女にずっと溜め込まれてきた想いが破裂して、それが外に溢れ出てしまった。

 聞いていられなかった。
 もう、こんな悪夢を見続けることは耐えられなかった。
 人々も皆、耳を押さえて……この直面した悲劇の現実から逃避しようと絶叫する。
 子供も大人も、男も女も、皆がこの場から逃げ出したかった。


 我が娘のこの姿、これを見て尚、この場に止まり続けろと?
 忠義は、その握り締めた拳から血が滴り落ちることに気付くことも無く、泣き喚く由々子を凝視していた。

「……止めるなよ、妖忌」

 視線を全く動かすことなく、横に立つ妖忌に向かって言い放つ。

「無論です」

 主と同じく、そのまま視線を交わすことなく、小さく頷く。

 事前に決めていた覚悟も決意も、そういったものは全てどうでも良くなった。
 泣いているじゃないか。
 自分の前で、あんなに感情を剥き出しにして泣き叫ぶ由々子の姿、以前見たのは何時になる?
 あんなに大声で泣いているじゃないか。
 怖いと泣いているじゃないか!助けてと叫んでいるじゃないか!

「由々子ッ!」
「お嬢ッ!」

 馬鹿とでも阿呆とでも好きに呼ぶがいい。
 愚行と罵りたいのなら好きなだけ嘲笑うがいい。
 後のことも何もかも忘れ、偽りの決意の裏に隠れていた感情のまま、走り出す。

「忠義殿!妖忌殿!」

 由々子の突然の豹変に固まっていた人々も、忠義と妖忌の行動を見て意識を取り戻した。
 慌てて止めようとする反面……どこか、ほっと安心したような、そんな不思議な気持ちも覚える。
 行ってほしい、あの少女の元へ。
 そして、恐怖に震えるあの小さな身体を抱きしめてやって欲しい。

 村長も二人を止めようと足を踏み出し……、しかしそこから一歩も動けない。
 やはり、望むというのか。
 たとえこの後どれだけ後悔しようとも、このままでは堪らないと願うというのか。
 あれだけ、あんなにも後悔してきたというのに!
 再び同じことを繰り返してしまうかもしれないというのに!
 それでも──!

「好きに……せい」



 だが、その刹那。


 世界が白色から桃色へ、突然、変わった。
 雪は尚、こんこんと降り続けている。
 では何が、世界を桃色へと変色させたのか。

 皆の目にはもう映っている。どんなに視線を逸らそうと意識しても……それは無理というものだ。
 村長の、細い眼は覚えている。瞼の裏に焼きついている、あの光景。
 知っている。自分たちは、これを、知っている。

 西行妖を中心として、一面に──桜の、花びら。

 まさか。
 これは……まさか!

「い……いかんっ!」

  ボッ──

 火の玉が、まるで西行妖を囲むように──

  ボッ──ボッ──ボッ──ボッ

 自分たちも桜の花びらの一枚一枚だと言わんばかりに──

  ボッボッボッボッボッボッボッボッボッボッボッボッ!

 火の玉までもが、乱れ咲く──


 夥しい数の火の玉が、西行妖に集結していく。
 西行妖が花を開いた。枯れ続けた桜の木が、ついにその真の姿をここに現した。
 一瞬でその枝全てを桃色の花びらで一杯にして、その周りに紅蓮の火の玉を身に纏い──

 その身を縛っていた魂を、跳ね返す。
 西行妖、反魂──満開。


「おのれこんな時に……ッ!」

 忠義の目に、火の玉が鬼の姿へと変容していく様子が映る。

「…………」

 妖忌の目に、ついに満開を成したことに喜びのコエを上げる西行妖が映る。

「……ぁ……」

 由々子の目に、その姿を明瞭なものとした凄まじい数の鬼達が天に向かって咆哮を上げていく様子が映る。

 怨ォォォォォォォォォォォッ!

 まるで西行妖の覚醒を祝福するかのように、周りの桜の木まで花を咲かせ始める。
 間違い無くこれは、西行妖の封印が完全に解けた瞬間。
 忠義は凄まじい形相で西行妖を睨み付け、妖忌は無言のままに腰の鞘から刀を抜く。


 驚きこそしたが、この場に居る全ての者がこの光景に畏怖を覚えなかった。
 数え切れないほどの鬼に囲まれている状況で、誰一人恐怖に打ち震えることが無かった。
 先までの自分が出来ることが何一つ無く、ただ俯き苦しむだけのような地獄に比べれば……。

 そう、むしろ願ったりと言わんばかりに。
 一体の鬼にさえ打ち勝てぬような人々は、その口の端に薄ら笑いを浮かべる。
 どうにもならない現状のままであることに変わりはないが、ここで皆で戦い、果てるというのも、また。

「ひい、ふう、みい…………ふむ、軽く百は超えておるのう」

 村長も、他の皆と一切変わらぬ気持ちであったのだろう。
 顎の髭を撫でながら、絶望的な光景を眺めて呟いた。

「俺ァ今、思いっきり暴れたい気持ちなんだ」
「ああ、俺もだ」

 皆が皆、お互いに呼応し合うように同意していく。
 その手に一切の武器も持たぬというのに。
 百を超えるような鬼達に、どうやって打ち勝つことができるのか想像もつかぬというのに。

 死んでしまうというのに。

 何も出来なかった分、今こそ暴れてしまえ。
 本能の赴くまま、この桜散る雪の地に果ててしまえ。
 最後の花見は雪の中で──血闘と共に。


 絶叫と咆哮が、入り乱れる。


 見事だった。
 妖忌の剣は、今までで最高と表現してもおかしくないほどの凄まじさ。
 今まで一度も見たことの無い忠義の戦う姿も、その傍にあった。
 扇を両手に、まるで舞を舞うような独特の戦い方は、見ているだけである種の感動を覚えるもので。
 村人達の中の数少ない術者達も、己の持ちうる力すべてを出しつくし、戦った。
 特別な力を持つ人々も、死ぬ気になればという言葉を体言するかのように、強く、戦った。

 だが、もはや誰もが血みどろだった。

 そこら中に、大量の血が散らばっていた。
 腕が、脚が、至るところに転がっていた。

 村人の数は間違いなく減っていく。

 死んでいく。

 目の前で大切な友が死んでいく。

 鬼に食われ、切り殺され、裂き殺され、潰され、千切られ。

 死んでいく。
 死んでいく。
 死んでいく。
 死んでいく。



「西行寺の、女……たること、自覚し……」



 それは、突然のことだ。

「その、御力を……もって、人の……ために」
『ゆ……こ……』

 西行寺由々子。
 騒ぎが一瞬で収まり、突然の静寂が訪れたような──不思議な感覚。
 あれほど拒絶していた、人柱の為の穴へと向かって、一歩一歩、歩いて行く。
 妖忌も、村の皆も、全員が呆然と由々子の行動を目で追った。

「人の……ため、に……」
『ゆゆ……こ……た…すけて…………あ……げる』


 何が、起きたのか。
 一瞬、西行妖があれだけ纏っていた妖気が一瞬で弾け飛ぶようにして消えて。
 あれだけ暴れていた鬼達が、由々子という存在を敬うかのように、動かなくなった。
 由々子の震える肩が、何を意味しているのかは誰にもわからない。
 最後の一節を、読み上げることにここで躊躇しているのか。

 それとも、この世に最後の別れを述べているとでも言うのか。
 まるで、待ち望んでいた何かを成就し、泣いているかのような──。

『あと……は………………ただよ……し……さ……ん』













 二人の男が、背合わせの状態で──小さく、語り合う。


「妖忌」

 血だらけの主人が、血塗れの従者に語りかける。

「……は」

 血だらけの従者が、血塗れの主人に答える。

「由々子と共に……おれも、逝く」

 それは、予想できていた言葉だった。

「……ならば、自分も」

 この意見に対してどのような答えが返ってくるかも、もう、予想できている。

「……今朝の頼み事、もう、忘れたか?」

 判っている。

「いえ……」

 判っている。

「由々子とも、約束しただろう。あの子が還ってきたら……褒めてやってくれ」

 判っている。

「……」

 判っている。

「お前にしか……頼めない」

 なんて、残酷なことなんだろう。

「……は」

 自分は今、忠義と由々子、その二人を同時に失おうとしているのだ。

「本当に、感謝している。まだ幼かったときから、ずっと」

 背中合わせの上、二人とも決して振り返ろうとはしない。

「……感謝の、言葉など……」

 振り返ったら、自分はどういう行動に出るかわからなかった。

「……西行寺全てを代表して、おれが礼を言おう」


「ありがとう」
『ありがとう』

 背中から、忠義と、そして西行寺の気配が消えて、無くなった。












 愛したこの世界に──いざ、さらば。
 小さな背に背負いきれぬほどの決意を持って、由々子は天に叫んだ。

「人の為に……皆の為に、命を、尽くせ」

 それは先日適わなかった、父との最後の輪唱の終わり。
 今となってはもはや、この世に対する、決別の言葉。
 恐怖が無くなったわけでも、全身の震えが止まったわけでもない。
 これ以上、この血みどろの惨劇が続くことを良しとしない、その意識だけが、この場に立ち続ける自分を支える。


「……良く、言えた」

 いつの間にか、忠義が背後までやってきていた。
 そしてこれも唐突な、褒め言葉。
 輪唱の間では、結局最後まで聞くことのできなかった言葉だ。

「おれも共に、逝く」
「え……」
「西行寺の男では、役者不足だろうが……それでも、お前が大御霊となるまでの時間稼ぎくらいには、なるだろう」

 恐る恐る振り返った先には、血塗れの顔で、しかし優しく微笑む忠義の姿があった。
 動かぬ鬼達も、動けぬ村人達も、このやり取りを静かに、見届ける。
 咲き乱れる西行妖の桜の花が、満開の中儚く散っていく。
 純白の雪と共に桃色の桜が散る様は非常に美しく……そして、この上ない、最期の贈り物のようで。

「西行寺は、これで終わりだ」
「おとう、さん……」
「おれは、駄目な父だったが……最後くらい、おまえが安心して寝付けるまで……傍で見守ってやる」
「……」

 もう、由々子の顔はくしゃくしゃだ。
 何かを言おうとしているのだが、全てが鳴き声になってしまって、言葉にならない。
 父が死んでしまうことが悲しいのか、それとも自分と共に死んでくれることが嬉しいのか、それはわからない。

「再び目覚めたら、妖忌が傍に居てくれる」
「……あ……」
「妖忌は、約束してくれた。何も、心配することはない」
「ぅ……あ……」

 忠義に導かれるようにしながら、由々子は穴の中へとその身を沈めた。
 やはり震えの止まらぬ由々子の身体を、忠義は強く、全身全霊の想いを込めて抱きしめる。
 父の腕の中は、とても温かくて……だから、恐怖だけではない、涙が止まらなかった。

「由々子」
「……う、ん……」
「桜……綺麗だな」
「……うん、……うんっ、きれい………」



 そのやり取りに対して頷くように、村人達が数人穴の傍までやってくる。
 その中には、もはや歩くことが出来ぬほどに負傷した者も居る。
 立ち竦む鬼を恐れることなく、手負いの術者が鬼の横を這い蹲るようにして、西行妖の元へと進む。

 これで、終わりなのだ。
 由々子も、忠義も、西行寺も、西行寺に守られ続けてきた自分達も。
 降り続ける雪と、散り続ける花びらに包まれて、最後の儀式が再開される。

 儀式を進行すべき村長は、もう、地に倒れたまま動かない。


「ずっと……ありがとう、ございました……西行寺忠義様、由々子様」
 ざっ──
「長い間、苦しい思いばかりさせて……」
 ざっ、ざっ──
「本当に心から、貴方達西行寺に、感謝している」
 ざっ、ざっ、ざっ──
「情け、ない。こうして……俺も、死んで……共に、逝けたらと……願って、しまう」

 埋まっていく。

 西行寺由々子と、西行寺忠義が。西行寺が。

 埋まっていく。


 同時に、何かに封じられていた鬼達が蠢き始める。
 再びの咆哮、何がそんなに憎いのか。何がそんなに苦しいのか。
 このままでは儀式が終了する前に、更なる惨劇が始まることは目に見えていた。

 だから、魂魄妖忌は再び刀を持つ。
 心から慕う二人が居る穴に背を向けて、最後に──!

「この魂魄妖忌ッ!」

 叫んだ。
 そして同時に走り出す。
 忠義と由々子に背を向けたまま、彼らとは逆方向に群れを成す鬼の方へと駆け出した。

「幾年っ!幾十年ッ!幾百年──ッ!例えどれだけの時が流れようとも……この妖忌、未来永劫ッ!必ずや、由々子様の御帰りを待ち続けます!必ずや──必ずやっ!」

 眼前の鬼を、一刀の元に斬り伏せる。
 全身全霊自分の全てをかけて、今まさにこの世から立ち去ろうという二人に向かって、叫ぶ。
 自分の持てる力全てを尽くして、何十体という数の鬼を周りに刀を振るう。
 只、我武者羅に。只、無心で。

 斬!

 斬!

 斬!

 隣で凛と立っていた由々子は、今はもう穴の底。

 隣で静かに座っていた忠義は、今はもう穴の底。







 妖忌は、少し前に聞いた、不思議な音を耳にした。
 そしてその音は、その場に居た誰もが耳にしていた。

  ──雪と共に蝶々が舞う

 不謹慎であるとか、そういった言葉はその場には存在しなかった。
 生き延びた全ての人が、その光景に見入って、呟いた。

 一瞬で。未だ百以上残っていた鬼が、一気に──全て漆黒の蝶々へと姿を変える。
 一瞬で、あれだけ咲き誇っていた西行妖の桜の花が、全て黒色の蝶々へと姿を変える。

 降り続く雪だけはその姿を変えることなく、黒の蝶々を照らし続けた。

 誰もが、その意味を理解していた。
 西行妖が満開の花を散らした意味。数多の鬼が一瞬で居なくなった意味。



「……未来、永劫……自分…………は……」

 からん、と刀が地面に落ちる。

「必ずや……由々子様の…………御帰りを…………」

 そのまま全身から力が抜けて、その場に膝から崩れ落ちた。
 あまりに大きな喪失に、心が反応することさえできないのだろうか。
 その表情には怒りも悲しみも、何一つ浮かぶことなく、只、雪空を眺め続ける。


「…………忠義、様…………お嬢…………」





































































  その想い、遥か────遠く、遠く──────────………………

























 異説妖々夢 〜西行寺〜


























 桜並木の中を、白髪の老人とおかっぱ頭の少女が並んで歩く。
 祖父と孫、といった雰囲気を持つ二人だ。
 しかし、それにしては老人の表情に微笑みの一つも無く、少女の表情に喜びの一つも見当たらない。

「……西行妖の見が済んだら、直ぐに次の技の伝授に入るぞ」
「はい、お師匠さま」

 老人の言葉に対し、少女は小さな身体に不釣合いな刀を両手で抱きながら頷いた。
 少女の反応に納得したのか、老人も小さく頷き返すと次の言葉を続ける事も無く再び押し黙る。

 二人は、日課である西行妖の見回りにやってきていた。
 少女は物心ついて間もない頃から、この老木の危険性について教え込まれてきた。
 見回りを始めた頃こそ緊張したものだが、最近は警戒をすることさえ忘れてしまうこともある。
 老人も、そんな少女に対して何も言わない。


 ここから西行妖まで、小さな丘を一つ越える必要があるが、それほど距離は無い。
 何せ、ここからでも西行妖の全容を見ることができるのだ。
 以前、少女は老人にここまで見に来れば良いのでは無いかと訪ねたのだが、そのときは酷く叱られた。

 今日も何も無いのだろうなと、少女が西行妖を遠目に見る。

「……え」

 小さな声を上げた少女に、老人は何事かと視線を投げかける。
 少女の視線は西行妖に定められたまま、決してそこから動こうとしない。
 老人は、また下らない妖怪でも西行妖に誘われでもしたかと、気の無い視線を少女と同じ方向へ向けた。

「……女の子……?」
「あれ、は……」

 少女の呟きと、老人の呟きは同時だった。
 そして、老人はまるで今までとは違う勢いで走り出す。

「お、おじいちゃんっ!?」

 突然走り出した老人に驚いたのか、つい定められている呼び名を使わず地が出てしまう。
 少女は叱られると思って首を竦めたが、いつまでたっても予想された叱りの声は聞こえてこない。
 慌てて視線を上げると既に老人はかなり先まで走り去っていた。
 なんなのだろう……と不思議に思いつつも、少女も老人を追いかえるように走り出す。


 桜並木。散り始めた桜は、見事なまでに美しい一本の道を描き出している。

 老人が、その桜吹雪の中を一心不乱に走り抜ける。
 時々転げるようにしながら坂を下り、這い蹲るように坂を駆け上がり。
 息が切れようとも、脚がもつれてその場に転倒しようとも、決してかまおうとしない。
 直ぐに立ち上がり、直ぐに走り出す。

 脇目も降らずに──いざ西行妖へ。




 少女が漸く老人に追いついたとき、既に老人は立ち止まっていた。
 流石に全力でここまで走るのは辛かったのだろう、肩で息をしながら老人を覗き込む。
 少女の表情が、驚きの色に染まった。

「……おじい、ちゃん……?」

 老人は、泣いていた。

 皴だらけの顔を、もう、くしゃくしゃにして。
 泣き声の一つも出すことなく。ただただ、涙を流し続け、泣いていた。
 少女は涙を流しながらも決して動くことの無い老人の視線の先を追って見てみる。

 やはり、あの場所から見えたのは、女の子だった。

 不思議な模様の入った天冠。
 桜の花びらを吸い込んだような、不思議な色合いの着物。
 手には……毬、だろうか、どこかボロボロの丸い物を持っている。

 その女の子は西行妖を見上げていて、自分達からはその表情を伺い知ることはできない。


「……おぉ……」

 老人は、くしゃくしゃの泣き顔に満面の笑顔を浮かべて、何度も、何度も頷いていた。
 少女はあの女の子のことを知っているのかと尋ねようと老人を見上げる。

「……」

 その泣き顔に、少女は吸い込まれるように見入った。
 まるで何十年、何百年と溜まった感情が一気に表に出てきたような、そんな深い表情だった。
 自分には決して立ち入ることのできない、本当に、老人にとって大切なものなのだろうと、そう直感した。



 突然やってきた二人のことに漸く気付いたのか、女の子はゆっくりと、振り返る。
 女の子の顔が、ついに二人にも見えた。
 老人の泣き顔は更に深く深く……。一体、どれほどの想いをそこに隠していたのかと、そう問いたくなる程に。

 女の子は二人の姿をその眼に見止めると、僅かに小首を傾げながら、ふわりと口を開いた。




「だぁれ?」



 次の瞬間、女の子は老人に抱き締められていた。
 乱れ散る桃色の桜吹雪が、二人の身体を包み込む。
 女の子は驚いたように表情を硬くして老人を見たが、老人の顔を見た途端、何も言わずに力を抜いた。

 老人は、号泣していた。
 声を上げて、本当に、幼い子供のように泣いていた。
 何かを言おうとするのだが、それは声にならず只の嗚咽となって口から出た。
 老人が背負ってきたものの分も、老人は泣いていた。
 あの日から、通り過ぎていった人たちの分も──。

 女の子は、老人の腕の中の不思議な温かさに目を細めた。
 少女の目には、女の子も涙を流している様子が映った。
 女の子は、自分が涙を流していることには気付いていない。


 遥か遠い時から運んできた想いが、ここで、弾けた。






 ──てん──『さて、自分は誰でしょう』──てん──『だぁれ?』──てん──









「はい、妖忌……魂魄妖忌で、御座います……」
















「……よう、き……」





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